▶トミー福沢のプロフィール
大学院留学に挑戦したタツヤさんにインタビューをしました。
学生が経験した海外移住を紹介していきます。
タツヤさんにインタビュー
簡単に自己紹介をお願いします。

タツヤと申します。
43歳男性で、塾講師や家電量販店勤務の後、投資家やフリーランスワークなどをしております。
音楽鑑賞や読書、園芸、野球観戦などが趣味です。

そこで553点取り、大学院留学ができる程の点数だったので挑戦してみようという気になりました。
どこの国に行かれたんですか?

学生VISAで修士修了までの2年間いました。
大学院留学目的で渡米したのですが、現地でリサーチアシスタントシップをもらったので、RA(リサーチアシスタント)として教授の下で働いていました。- RA(リサーチアシスタント)とは
- リサーチアシスタントとは、大学院生が研究補助業務を行い、これに対して給与(月額数万円)を支給します。研究者としての素養を身につける場であり、経済的支援にもなっています。

Electrical Engineering(電気工学)専攻でしたが、卒業後新しい事をやりたくなり、百貨店や塾、家電量販店に勤めました。
今現在は投資家兼フリーランスです。
大学院留学中の収入源はどうしていたんですか?

親からの仕送りとRA(リサーチアシスタント) の給料で生活していました。
大体月に1000ドルほどで、税金を引かれて900ドル位が手取りでした。



最初、英語研修の時には寮にルームメイトと住んでいました。
この時はまだ良かったのですが、大学院の学期が始まって住んだ寮は一人用の狭い部屋で机の上にベッドがある部屋でした。
おまけにとなりの学部生がうるさくて、次の学期にはアパートに引っ越しました。ここは始めは日本人の他の留学生と住み、後に韓国人の男性の留学生と住みました。
家賃は月650ドルで二人で350ドルと300ドルずつ払いました。
私の方が部屋が広かったので350ドル支払っていました。ここはなかなか快適な所でした。

食事は最初は寮でミールプランというのを取っていましたが、味があまり良くなく、学期が進んでいくにしたがって段々嫌になっていったので、次の学期から自炊をするようになりました。
スーパーで米や味噌、納豆が置いてあったのが救いでした。
文化としては皆向こうの人は攻撃的なので当初はやられてばかりでしたが、次第に自分も慣れてきて彼らと同じようになっていきました。
帰国してからまた日本式になれるのに手間取りました。

患っていた自律神経失調症が治ってしまう程でした(笑)
では 最後にこれから海外移住する人にアドバイスがあるとしたらなんですか?

最後に・・・
大学院留学をしたタツヤさん。
親御さんからの仕送りや教授のお手伝いをして生活をしていたそうですが、当時からネットビジネスを始めていれば今のお仕事の投資家兼フリーランスにもプラスになっていたんではないでしょうか。
海外移住をするにも、時間と収入源がないと厳しい
ネットビジネスなら世界中どこにいても仕事ができるから、色々な国にいく選択肢と自由な時間が増える
ネットビジネスなら世界中どこにいてもPC一台で仕事ができるので、本当におすすめの働き方なんですよ。
海外移住は異文化交流ができて刺激になるので一度はしてみることをお勧めします。